間にわたって外部世界から鎖されていた。雲龍県は自然条件の悪い所であるが、古い歴史を有している。史料によれば、前漢の元封二年(紀元前一〇九)に漢武帝はここに比蘇県を置いた。後漢の永牛十二年(紀元六九)に哀牢王柳貌内附は永昌郡を置き、比蘇県はこれに属することとなった。南詔国時代に比疎県は二つに分割され、瀾滄江以東は剣川節度に属し、以西は永昌節度に属することになった。大理国時代には大理国行政区画十腺の一つの「婁籠賊」となり、雲籠という地名が初めて登場した。明代に至って正式に「雲龍州」が設立され、大理府に属することとなった。
雲龍県には、ペイ族、イ族、リス族、アチャン族などの多民族が居住していて、その中でペイ族は人口が全体の七四パーセントを占め、一番中心的な民族である。大理州の中でもペイ族が占める比率は、剣川県に次いで第二位で、彼らは主に山地に居住している。
婚礼中に行われる追儺習俗
ペイ族の婚礼習俗の中にはたくさんのシャーマニスディクな追儺習俗がある。嫁迎え、披露宴、閙房(新郎新婦からかい)などの次第の
雲龍県長新郷大達村―山の上のペイ族集落
中でそれが行われる。簀子坪は珥源と境いを接する雲龍県の中の山深いペイ族の村であり、今も婚礼の中でそのような次第を残している。
男性側の嫁迎えの一行がやってくる前に、女性の家の方では垣根を作ってそれで集落の入り口を寨ぎ、男性側の一行は到着すると、大きな声で「門を!」と言い、女性の家の者に「門を開けて通して欲しい!」と叫ぶ。すると既に垣根の背後に隠れていた女性側の者が垣根のすき間をちょっとばかり開ける。そこから山羊皮を身にまとい犬に扮した者が跳び出し、嫁迎えの一行の中に乱入して咬みつきまわる(ことに婦人や娘を追っかけまわす)。
この時一行の主事人(リーダ)はかねて用意してあった塩漬けの豚肉を犬に与える。これを「犬に骨をくれてやる」と称す。肉を受け取ると犬は垣根の中へ戻っていく。すると今度は耳支(ものいわぬ者)と呼ばれる者が顔に鍋墨を塗りたくり、服を裏返しに着て水鉄砲を持ち、嫁迎えの一行に向かって水を発射する。主事人は銭を耳支に与える。耳支は水鉄砲を発射するのを止めて垣根の中へ戻る。すると
雲龍ペイ族女性の服装
集落の門が開けられ、ソナが吹かれて、女の家から「土皇帝」なるものが押し出されてくる。上皇帝に扮した男は、ボロボロの棕梠を着て、切り紙で作ったヒゲを付け、鶏の卵の殻で作ったメガネをかけ、小さなロバにまたがってユラユラと嫁迎え一行の前に出てくる。そして主事人に向かって次のように質問する。
問…おまえたちはどこからやって来たんだ?
答…天界からだ。
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